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田中角栄の『列島改造論』から東京一極集中を考える

1. 田中角栄の国土建設ビジョン

 田中角栄の生涯のテーマは「表日本と裏日本、都市と地方の格差是正」だった。このテーマには新潟県出身である角栄の、農村や漁村の犠牲のうえに都市が繫栄してはいけないという強い思いがある。

 裏日本とは日本列島の日本海側のことを指し、寒冷地で豪雪地帯が多い。一方で太平洋側の表日本は、東京、大阪、名古屋の三大都市圏や太平洋ベルトなど日本の主要都市や工業地帯が集中している地域だ。

 角栄アメリカやドイツ、ソ連など多くの先進国が寒冷地の北部を工業化し、温暖な南部を農業化していることを挙げ、日本も表日本を農業地帯、裏日本を工業地帯にするべきと唱えた。

 当時は裏日本から人口が都市部に流出し、地方では過疎化が、都市部では過密化が大きな問題となっていた。また食料自給率も極めて低く、農業従事者も減少していた。表日本で適地適作の農業を行い、裏日本に産業を移転させれば、こうした問題を一気に解決できると考えたのである。

 

2. 電力と道路計画

 1950年、国土総合開発法が制定される。これは「産業立地の適正化」と「国土の均衡ある発展」を目指す法律だった。公共投資を行い、都市部の富を地方へ分配させる政策だ。そこでまず手を付けたのが電力と道路網の整備だった。

 戦後の日本において、産業発展のためにエネルギーの確保が緊急の課題となっていた。しかし大規模な水力・火力発電施設の整備は軍需産業への転換の恐れがあるとして占領軍の反対にあう。角栄は反対する占領軍を押し切り、1952年に電気開発促進法を成立させた。

 この法律によって政府が出資して設立した特殊法人によって次々にダムが建設され、足りない電力需要は賄われていった。同じころに9つの電力会社も生まれている。

 公共事業を増やして雇用を確保し、地方を整備する考えはアメリカのニューディール政策の影響を強く受けている。ニューディール政策は1962年にアメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領がおこなった政策で、特にテネシー川のダム開発事業が有名である。ダム開発は雇用や電力の確保だけでなく、治水も行うことができ、地域にとってはメリットしかない。このニューディール政策も政府が設立した公社組織による事業だった。

 続けて角栄は1950年代に所謂「道路三法」を成立させ、交通網の整備を行った。もともと日本は鉄道大国で、馬車の利用もなかったことからほとんどの道路の整備が遅れていた。日本の大動脈だったはずの国道一号線すら未舗装だったのである。

 角栄は出来たばかりの高速道路の有料化とガソリン税で財源を確保し、日本各地に横断道路・縦断道路を建設していった。これらの道路網は今日でも利用させている。

 

3. 日本列島改造論

 1972年、『日本列島改造論』が自民党総裁選にむけて出版された。そして同年7月、角栄は晴れて総理になる。『改造論』では均衡のとれた国土建設によって、地方の過疎化と都市の過密化の同時解消を目指すために具体的な内容が示された。

 まずは交通網の整備によって一日生活圏、一日経済圏の実現。次に工業や大学を都市部から地方へ移転し、25万人規模の中核都市を各地方に設けることによって職住近接を目指した。

 一日生活圏の実現に関しては具体的な6つの目標が示された。一つ目は鉄道で、当時完成していた東海道・山陽新幹線に続いて日本を縦断する複数の新幹線が計画された。この計画に基づき現在では、東北・上越・北陸・九州・北海道の各新幹線が開通または延伸中、リニア中央新幹線が着工されている。しかし地方都市と地方都市を結ぶ奥羽新幹線や四国横断新幹線などは今のところ開業のめどはたっていない。

 二つ目は日本の主な4島、北海道・本州・四国・九州を長大橋またはトンネルで結ぶというものだ。これは既に完成していた関門トンネルを合わせて、青函トンネル・本州四国連絡3ルートの開通によって達成された。

 三つ目は国際空港の建設。これも今日では羽田、成田、関空、中部の4空港が開港している。四つ目の国際貿易港も川崎や横浜などの港が現在日本の貿易を担っている。

 五つ目は全国交通計画の策定。そして六つ目が基幹通信体系の整備だった。現在、日本のほとんどの生活圏で快適に通信ができるのも、このとき計画された整備指針の影響が大きいだろう。(令和元年度のNTTdocomoの4G基地局の人口カバー率は98%)

 

4. 便利になったが縮まらない格差

 ではこの6目標によって日本列島の一日生活圏化は実現されたのだろうか。確かに太平洋側の利便性は格段に向上した。JR東海のウェブサイトによると、1960年には東京・大阪間の所要時間は6時間30分もかかっていたが、現在は2時間22分ほどにまで縮まった。また4つの国際空港は三大都市圏にあり、国際貿易港も太平洋側に集中している。

 しかし西日本側はどうだろうか。現在の大阪・米子間の所要時間はJRの在来線で3時間23分。これは東京・大阪間の所要時間よりはるかに長い。同じ中部圏でも西日本側の岐阜県高山市から中部国際空港に在来線で行く場合、4時間はかかる。どちらも東京・大阪間よりかなり短い距離だ。

 さらに太平洋側・西日本側の各都市同士の移動時間差は顕著で、同じ130km圏内でも名古屋・掛川間が54分なのに対し、福井・東舞鶴間は3時間2分。東京・仙台間は最短で1時間31分に対し、新潟・秋田間が特急「いなほ」で3時間32分もかかる。新幹線の有無が所要時間の短縮に影響を及ぼすのは明らかだ。

 結局、太平洋側では「一日生活圏」が実現したが、日本海側では実現しなかった。4つの国際空港がすべて太平洋側にあり、新幹線網は太平洋側の大都市の地方を結ぶように整備されていることからも明らかだ。

 

5. 繰り返される工場制限法の悪夢

 続けて角栄がとりかかったのは首都圏から工場・大学を移転させることだった。工場制限法を制定し、制限区域内において工場・大学の新設、増設を禁止した。都市部を追われた工場・大学は郊外に散り、八王子、町田、厚木などへ移転する。しかし首都圏外へ移転した大学は少なく、2002年に工場制限法は廃止された。

 現在、世界的なパンデミックに見舞われ、テレワークの推進で首都圏からの移住が注目される中、こうした動きと似た現象が見られている。都市部から近郊への移住が増加する一方で、地方への移住は一向に進まないのだ。過密度の高い都市部からは抜け出したいが、利便性が高い太平洋側から日本海側へ移り住みたいとは思わないである。

 こうした原因は「一日生活圏」が中途半端に実現されたまま、日本が発展してきたことにあるのではないだろうか。

 

6.ふるさと創生と平成の大合併

 角栄の目指した国土建設は1973年のオイルショックによって一度は暗転した。しかしバブル期に、本州四国連絡橋東京湾アクアラインなど一度凍結された事業が再び着工されて注目を集めた。また竹下登首相によって「ふるさと創生事業」が開始され、全国の地方自治体に一律1億円、総額3200億円が交付された。

 地方は交付金で文化会館などの公共施設(いわゆる箱モノ)を次々に建設したが、自治体負担分の建設費や毎年の施設維持費などで、地方自治体の借金は1兆2700億円までに膨らんだ。ふるさと創生事業は国が国土建設の青写真を示すことなく、地方に大金をバラまいた愚策としか言いようがない。

 結果的に地方自治体の競争力は低下し、都市部への人口流出が加速した。ふるさと創生事業は2001年に廃止される。体力がなくなった地方自治体は急速に合併し、その数を減らしていった。これが平成の大合併である。

 平成の大合併は大失敗に終わったが、自治体が合併を続けたのにはいくつかのメリットがあると考えられていたからだ。特に地域を集約化することができ、行財政の効率化、議員定数の削減まで行える自治体の合併は、赤字を抱える地方の特効薬となりうる政策だった。

 しかし、ただでさえ都市部へ人口が流出し、高齢化が進む中、巨大化しただけの自治体は行政サービスが悪化し、住み辛くなった。過疎化が進んだ地域では若者が消失し、インフラの維持が困難になっている。日本が末端から崩壊を始めているのだ。

 今後、日本が目指す姿は残念ながら田中角栄の描いた「国土の均衡ある発展」ではない。発展させる場所を選んで生活の拠点を作る「コンパクトシティ化」である。だが、いかにコンパクトシティ化を進めても、日本海側と太平洋側で利便性の格差が生じるのであれば、人口は太平洋側に集中するだろう。

 コロナ禍で社会構造が大きく変化している今こそ、地方の人や企業が最大限に能力を発揮できるように国土計画を見直し、東京一極集中からの脱却を検討するべきだと強く思う。

 

 

参考文献

米田雅子(2003)『田中角栄と国土建設』

東京新聞(2020)『「平成の大合併」から10年 いま市町村は』

 

※各都市間の移動時間は乗り換え案内サービスの「ジョルダン」様を参考にさせていただきました。